藤原氏

中臣鎌足は天智天皇より藤原の氏を賜り、次男不比等は女(むすめ)の宮子を文武天皇の夫人とし、聖武天皇を生んで皇室の外戚としての地位
を築いた。

一方、不比等には男子が4人あって長男は武智麻呂(ムチマロ)、次男は房前(フササキ)、三男は宇合(ウマカイ)、四男は麻呂といいます。

かれらは都の南北にすんでいたので長男を南家、次男を北家、式部卿の三男を式家、左京大夫の四男を京家とよびました。

不比等は聖武天皇の皇后に宮子の妹の光明子を上げ、この光明子は孝謙天皇を生み宮廷と深く結びつきました。





     

藤原四家の盛衰

藤原氏といえば北家とされますが、最初に(奈良時代初め)台頭したのは南家でした。

南家武智麻呂の次男仲麻呂は、光明皇后及び孝謙女帝の信頼を得たものの、怪僧・道鏡を除こうとして失敗、南家は没落しました。

次いで台頭してきたのは式家で、宇合(ウマカイ)の長男の広嗣は橘諸兄を批判して大宰府に左遷されいったんはおちました。

しかし広嗣の弟の百川は、光仁天皇の擁立に尽力、次の桓武天皇の元で種継が活躍し復活したが、810年薬子の変で北家との
競争に敗れ、次第に衰えました。

北家は式家との勢力争いに勝って藤原氏の頂点に立つと、他氏を排除して朝廷に君臨しました。

京家からは著名な人は出ず、栄えることはなありませんでした。





     

公家藤原氏の名字は京の地名から

藤原氏が朝廷を牛耳ったため、それぞれを区別するために邸宅の所在地から一条や堀川のような屋号を使いました。

平安初期には貴族は「妻問婚」という結婚形式で、夫婦は同居せずに、夫が妻のもとに通っていました。

子供が生まれると、子供は母親とその家族と同居するので、子供は父親よりも母方の一族の影響を受けて育ちます。

藤原氏が朝廷で大きな力を持てたのは、天皇家に娘を嫁がせ、次期天皇を自分の家でそだてることが出来たからでした。

このため屋号は父系には伝わりませんでした。

例えば一条に自宅がある公家は一条殿と呼ばれるが、その子供は別に住む母親と暮らしているので一条殿とは呼ばれません。

このため、父とその子供とでは屋号が違うことになり、名字とはいえません。

しかし平安時代末期から、現代のように妻が夫のもとに嫁ぐようになり、子供は父親と住むようになりました。

鎌倉時代になると代々同じ家に住むようになりました。

やがてこの屋号が固定化して、親子代々が受け継ぐ名字となりました。

一条、三条、九条、近衛、勘解由小路などがこれあたります。

徳大寺や西園寺などは都の中心から遠く、ここに住んでいたわけではなく、祖先の建立したお寺であったり、別荘の地名による
ものです。





     

藤原北家の隆盛

藤原北家では、房前--真楯−−内麻呂のあと冬継が藤原氏の氏長者(うじのちょうじゃ)と看做されるようになりました。

その子の良房は857年に人臣にして初めて太政大臣となり、翌年は摂政となりました。

良房の甥で養子の基経も摂政となり、885年には関白・太政大臣となりました。

これから北家は代々摂政・関白を出し、皇室との結びつきを強めましたが、ここまでくるのに五代、約150年の時を擁しました。

基経の4代のちに、道長が左大臣・氏長者となり、北家の中心となりました。

道長には多くの娘がいて、それぞれを入内させ、一条中宮(彰子)、三条中宮(妍子)、後一条中宮(威子)、後朱雀妃(嬉子)、
三条女御(盛子)、小一条院女御(?子)と絢爛たる外戚関係を結び、男子も太政大臣以下の要職に付きました。

この摂政・関白を出す摂関家(正しくは摂家)は、藤原氏の氏長者で、所領や印、朱器大盤(朱塗りの大盤、藤原家宗家のしるし)
を受け継ぎました。

平安後期には武家が台頭し、院政も起こり、藤原氏の政治権力は崩れ始めました。





     

藤原氏の摂関政治終焉

平家が没落すると、源頼朝は鎌倉で武家政治を始めるのに京の公家を利用しました。

頼朝は藤原忠通(道長の子の頼通の曾孫)の子の兼実に目をつけましたが、兼実には基実という兄がいました。

基実は父の後を継いで摂政・関白になっていたため、弟が氏長者として、頼朝に推挙されては面白いはずがありません。

そこで、弟の兼実が京都九条殿に住み、九条家を創立したのに対して、兄基実は京都近衛殿にあったので近衛家を創立し、
以来、近衛家は五摂家の筆頭とみなされています。

武家政権により政治の中枢から外されたため、朝廷の力は衰退し、公家の影響力も大きく減少しました。

鎌倉幕府はさらに公家の力をそぐために、公家勢力の分散を図り、九条家から一条家、二条家を独立させ、さらに近衛家から
鷹司家を分家させて、摂関家を分裂させました。





     

公家の名字

公家の家柄としての家格は以下の順となります。

    五摂家   近衛 九条 鷹司 二条 一条
    閑院家   西園寺 徳大寺 三条
    清華家    菊亭 花山院 大炊御門 醍醐
    大臣家   嵯峨 正親町三条 三条西 六条 愛宕 岩倉など
    羽林家   持明院 壬生 令泉 山科 堀河 武者小路など
    名家    日野 烏丸 勧修寺 中御門 坊城 富小路など
    諸大夫   竹屋」日野西 裏松 勘解由小路など













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